Story #1

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見慣れたこの街の景色とも、しばらくお別れになるのか。

つい最近までファッションビルだったのに、いつのまにか役所になってしまったこのシャープペンシル型の建物の一階、よく待ち合わせに使われるベンチの片隅で、私はガラス越しの風景を眺めている。

街のランドマークでもあるこの高層ビルの、「NEXT 21」という名称は、22世紀になったらどうなってしまうんだろう。そんなどうでもいいことを、私はふと疑問に思う。未来も21のままなのか。それとも、次の世紀が来る前に、このビルそのものが取り壊されてしまうのだろうか。通りをはさんで反対側にあった、かつて百貨店だった建物のように。

スマホを見ると待ち合わせまでまだ10分あった。

私はおもむろにバッグから黒光りする新品のカメラを取り出し、レンズを外に向けてみる。大通りを走る屋根の赤いバス。加島屋の紙袋を下げたおばさん。ハザードランプを点滅させて路肩に停まる車。三越のライオン像。

ミラーレス一眼レフのこのカメラは、一昨日、おじいちゃんが大学の合格祝いにと買ってくれたものだ。おじいちゃんは私が頼めば何でも買ってくれる。このカメラの他に、大学の授業でパソコンが必要だと言ったらフルスペックのMacbookと、さらに私の誕生日にかこつけて新しいiPhoneまで買ってくれた。家のなかではいつも怖い顔をしているけれど、私にだけはおそろしく甘く、無限にやさしい。

 

卒業式が終わってから、時間の感覚が少し変だ。

一週間後、私は東京で大学の入学式を迎える。いまは高校生でも大学生でもない、なんだか宙ぶらりんな、緩んだゴムのような毎日を過ごしている。

せっかくカメラを買ってもらったのだから、何か、街の風景でも撮ってみよう。そう思ったものの、ファインダーの中に信号を渡るポールの姿が入り込んで、シャッターを押しかけた指が止まった。あいつを撮ったってしょうがない。なんだかメモリがもったいないような、せっかくの新品のカメラが古汚くなってしまうような気がして、私はそれをバッグに戻した。

建物の中に入ってきたポールは、入り口で立ち止まりきょろきょろと顔を動かして、後ろから入ってきた人の邪魔になっている。もう三月の末だというのに丈の長い分厚いダッフルコートに身を包み、ブーツを履いて、無用に大きなリュックを背負った姿はかなりださい。

私は意地悪をするつもりなんてないのに、気づかないふりをしてポールに背を向けた。ガラスにうっすら映る自分の姿を見つめながら、なんとなく髪を触る。量が多くて広がりやすい、私の髪。化粧。唇の色。いま着ている服。靴。私は自分が心配になる。この街にいるのと同じ感覚で、こんな感じで、東京に出て大丈夫なんだろうか。東京に行く前に、明日美容院の予約を入れといてよかった。とりあえずいまよりもうちょっとはきれいにならないと、東京でなんか暮らせないような気がしてくる。

 

唐突にポールからLINEがきたのは、おとといのことだ。

〈お久しぶりです。ひまだったらお茶でもいかがでしょう〉

会う理由はなにもなかったけれど、会わない理由もとくになかった。確かに私はひまだったし、お茶でもいかがでしょう、という古めかしい表現がなんだかおかしくて、まあ会ってもいいかも、という気になった。引越の荷物はもう出したあとで、とにかくひまだったのだ。

「どこ行く?」

「うーん、どうしようか。とりあえずどっか行こう」

久しぶりに顔を合わせた私たちは、とりあえず建物を出て、とりあえず並んで歩き出した。おもての風は冷たくて、スプリングコートではまだ肌寒かった。

「そういやヒナちゃん、合格おめでとう」

「ありがと。そっちもね。東京、いつ引っ越すの?」

「来週。入学式の直前に」

「そうなんだ。私は明後日行くよ」

「早いね」

「アパート、もう契約しちゃったし」

ポールは私の元彼だ。二年生の夏、ほんの二ヶ月だけ付き合った。

でもその期間のことを、私はよくおぼえていない。学校帰りに並んで歩いた。たしか暑い夏だった。でもそれ以外の記憶がない。ポールのことを思い出そうとすると、いつも同じような光景がいくつか浮かんでは、その先が続かず、白くなって消える。まるで、まぶしくて真っ直ぐに見つめることのできない真夏の太陽のように。

私たちが別れたのは夏休みの終わり。切り出したのは私だった。

「ねえ、私たち、友達に戻ろう」

ポールは驚いた顔をしてから、少し考えて、

「うん、友達に戻ろう」と復唱した。かんたんな別れだった。

友達に戻ろうとは言ってみたものの、私たちはそもそも、別にたいした友達ではなかった。二年生のときは同じクラスだったけど、三年は別々のクラスになって、それきりふたりで話すことはなくなった。

あれから、もう一年半経っている。なんでポールが突然誘ってきたのか、私はまったくわからない。

 

私たちはしばらく、まだ春になりきれていない寒い街を歩いた。バス通りに沿って、古町をてくてくと。郵便局、銀行、市場。

これといって会う理由がないのと同じように、目的地もなかった。お茶でも、と誘われたけど、どのお店に入るつもりかわからなかった。

でも歩きながら話すことは意外とたくさんあった。あの子がどこの大学に受かったとか、あいつが浪人することになったとか、学校の友達や知り合いの進路情報と噂話を並べていけば、話が尽きることはなさそうだった。

「ところでポール、どこに住むの? あたしは豊島区」

「俺、中野区。東中野」

「あ、じゃけっこう近いかもね」

「そうなの? 新潟で例えるとどんくらい?」

「うーん、出来島と女池、みたいな距離感かな」

「ごめん、俺、家が北区だからそっちよくわかんない」

ポールは理系、私は文系。どちらも私立の第一希望に無事に合格していた。

「私は西武池袋線」

「俺は中央線。あと東西線、だったかな。いや大江戸線だ」

「どっかで会うかな」

「かもね」

そんな話をしているうちに、あっというまに萬代橋までたどり着いた。ポールがずんずん進むので、私もその横で同じ速度をキープする。思い出した。そうだった。ポールは歩くのが速い。私はそれについてくのに、ときどき小走りにならなくちゃいけない。あの夏、私はいつも以上に汗をかいていたような気がする。

 

ポールこと鈴木俊紀とは、二年生のときはじめて同じクラスになった。一年のときは存在すら知らない人で、顔に見覚えもなかった。

私たちが近づいたきっかけは、春のメイン行事である体育祭の役割分担で、同じパネル係に振り分けられたことだった。

「ねえ鈴木くんてさあ、なんでみんなにポールって呼ばれてるの?」

放課後、大きな模造紙にポスカで色を塗りながら、なんとなく隣で作業していたポールに話しかけてみた。ふたりともジャージ姿だった。

「俺、軽音なんだけど」

ポールはせっせと色を塗りながら顔を上げずに言った。

「うん」

「ビートルズって知ってる?」

「詳しくはないけど、存在くらいは」

「それで」

「それで。じゃ全然わかんないんだけど。それはもしかして、ベース弾いてるって話?」

「そういう話」

「あー、じゃあギターの人はジョン?」

「いや、山岸」

「はは、そこは普通なんだ」

ポールが顔を上げてにっこり笑った。すごく素直な、いい笑顔だった。そこにはよこしまなものが何もなくて、ベースを弾くのがすごく好きなんだ、というのが伝わってきた。それから私たちは作業のたびによく話をするようになった。

ポールから告白されたのは、体育祭の翌日、パネルの撤去と片付けのためだけに登校したとき、その帰り際だった。

それまで恋人というものにまったく縁のなかった私は、素直に嬉しかった。ふたりともまだ十六歳だった。好き、と言われて何と答えていいかわからず、うん、と返した。付き合って、と言われたから、いいよ、と返した。

パネル係になる前は、クラスが同じということ以外に何の接点もないふたりだったから、体育祭マジックだ!などとずいぶん周りに言われたけれど、確かにあれは、その時点ではマジカルな出来事だった。

 

橋を渡っている途中、あ、とポールが口をひらいた。え、なに?

「そうだ、映画でも観よっか」

右手側の岸の向こうにはシネコンの建物が見えていた。

「いまって何か面白いのやってんの?」

「わかんないけど」

スマホで調べれば何を上映しているかすぐにわかるけれど、ふたりともそれをしなかった。

私たちはとりあえず、映画館の前まで歩いた。そしてちょうど十分後にはじまる邦画を観ることにして、チケットを買った。高校の学生証があれば学割だったけれど、もう携帯していなかったから私だけ大人料金だった。1800円は高いなと思ったものの、おじいちゃんから第一志望に合格したお祝いボーナス、というよくわからない名目で多額の現金を受け取っていたので、私の懐はちっとも痛まなかった。

「ねえ、ポールってカメラ詳しい?」

シートに並んで座ってから少し時間があったので、私はバッグからカメラを取り出して、見せた。

「詳しくはないけど、デジイチなら持ってる」

「何?デジイチって」

「デジタル一眼」

「このさ、ダイヤルのM、S、A、Pって何?」

「スマップ」

「いやいや、順番違うし」

「マニュアル、絞り優先、シャッタースピード優先、プログラムオートでしょ」

「ごめん、何言ってるかわかんない」

「とりあえず初心者はPにしときな」

「わかった、Pね。Pって何だっけ?」

「ポール・マッカートニー」

「違うから」

ひひ、と笑ったポールの顔は、はじめて話しかけたときの笑顔と同じで、なんだか私は嬉しかった。

「ヒナちゃん、写真はじめんの?」

「私、趣味らしい趣味ないからさ。なんか、カメラが趣味だったらいいかなーと思って。おじいちゃんが買ってくれたの。合格祝い」

「いいね。俺んち、じいちゃんもばあちゃんもどっちももう死んじゃったから、合格祝い損してる」

私が何て言い返していいかわからずにいると、照明がゆっくり落ちて予告編がはじまった。

 

映画は面白いのかそうでないのかよく分からなかった。でもまあまあ楽しめた。青春グラフィティ的な話だった。当然、そこには出会いと別れがあった。受験のときに立ち寄った新宿や渋谷が、ちょっと危ない街として描かれていた。東京の夜は恋人たちがたくさんいた。高校生も大学生も恋をしていた。お酒も、濃厚なキスも、激しい喧嘩も、男と女が裸で絡み合い結ばれるシーンも、みんな当たり前のようにそこにあった。それが恋人たちの日常だった。

でも。エンドロールをぼんやり眺めながら、私は思う。ポールと付き合った三ヶ月のあいだには、それらはどれひとつとして存在しなかった。私たちは学校帰り、ただふたりで並んで歩いた。話をした。でもそれだけだった。初めてのキスも、その先にあるべき何らかの経験も、すべては東京での大学生活に持ち越された。

私とポールは本当に付き合っていたんだろうか。そんな疑問がふつふつとわき上がってくる。そのくらい、私たちは何もしていない。恋を介して得られるはずの特別なものを、私は彼から与えてもらえなかった。

告白されて嬉しかった。一緒に歩いていることを幸せだと思ったりもした。好きだったと思う。でも、だんだん物足りなくなってしまった。ポールはちっともお洒落じゃないし、聴く音楽もハードロックとかだし、一緒に外食するとしてもファーストフードとかファミレスとかばっかだし。物足りないところを挙げていくときりがなくなった。夏休みになったら何かあるかも、と期待していた。でも何もなかった。そしてもう、別れるしかない、と私は思い至った。

 

映画館を出てからまたぶらぶら歩いて、疲れたからそろそろお茶でも、とスタバに入ろうとしたけれど混んでいて席がなかった。そしたら、あ、俺、家電見たいんだった、とポールが言った。

「冷蔵庫とか電子レンジとかまだ買ってないんだよね」

「あわかる、それ私も」

そこで駅前の量販店に行って、家電フロアを物色した。

「デザインのいいのって、やっぱすごく高いよね」

「なんかでもどれも同じに見える」

「てか部屋のサイズ測ってからじゃないと選べなくない?」

「俺もそう思った」

 

歩き疲れてくたくたになった私たちは、駅前の広場のベンチみたいなところに並んで腰掛けた。駅を見上げると、ここが終点、という感じがした。時計を見上げるとまだ四時半で、何をするにも中途半端な時間だった。でもかといって、これから何かするというわけでもなかった。

「どうしよっか」

ポールが言った。なんだか情けない感じだった。

何で今日、私と会おうって思ったの? そう私は訊ねてみたかった。

もし私たちが本当にただの友達だったら、いくらでも口にできたと思う。でも、その言葉は私の胸に詰まったまま、出てこない。聞いてはいけないような気がした。かつて、ちっとも恋人らしくなかったけれど、いちおう彼氏と彼女だった同士のマナーとして。

「あ、私、このあと髪切りに行く予約してるんだ」

私はとっさに嘘をついた。本当は明日の午後なのに。

「え、そうなの」

「ごめんね、だからそろそろ、かな」

「うん」

そうは言いつつ、立ち上がろうと思っても、お尻はベンチにひっついたまま動かなかった。別れ話をしたときみたいだ、と思った。お別れを決めたあと、実際にさよならをするまで、私たちはしばらく何も話さずにこうしていた。

「新潟駅、新しくしてるよね。いつ完成するんだろ」

私は見慣れた駅の建物や看板を見上げて、言った。

「東京オリンピックのあとらしいよ」

「うそ、まだそんな先なんだ」

「俺ら、オリンピックのとき東京にいるんだよなあ」

私は、駅が完成したとき、を想像してたまらない気持になった。

おじいちゃんはいま、病気の治療をしている。私にたくさんお金をくれるのは、病気がさらに悪くなったときのことを考えてのことだ。お父さんとお母さんもそれを分かっているから、私がどれだけおじいちゃんからお金や物を与えられる一方でも、何も言わない。私はお金なんていらないから、おじいちゃんに長生きしてほしいのに。

東京オリンピックのとき、私が大学を卒業するとき、そしてこの駅が完成するとき、おじいちゃんはもうこの世にいないのかもしれない。東京に行ってしまったら、私はあと何回おじいちゃんに会えるのだろう。

「時間、大丈夫?」とポールが言った。

なんだかもじもじと、リュックのチャックを気にして、手をかけたり、手を離したりしている。無駄に大きなリュックは、やはり無駄に膨らんでいる。いったい何が入っているのやら。

「ねえ、ポール、お酒飲もう」

「は?」

「うちらもう大学生じゃん。お酒飲んじゃおう」

思いつきだった。でもそれは名案のような気がした。小さなことでいいから、ポールと一緒に何かしてみたくなった。付き合っていたときのように、このまま駅で手を振ってそれでばいばい、みたいな感じがせつなかった。物足りないままだった。

「ヒナちゃん、美容院は?」

「いいよ、キャンセルするから」

私はそう言って、スマホをいじるふりをしながらポールから離れ、背を向けて電話をかける演技をした。

 

駅前をまたぶらぶら歩いて、私たちは早い時間からやっている居酒屋の暖簾をくぐってみた。入りやすそうな、いかにもチェーンの大衆居酒屋、という感じのところ。よし行こう、と気合いをつけて。

店に入るなり、「未成年ではないですよね?」といきなり店員さんに釘を刺されたので心臓が止まりそうになったが、はい、二十歳です、とポールが上手に答えてくれた。身分証明書の提示は求められなかった。

席に案内され、メニューを開いても、お酒の種類なんか全然わからない。じゃあ適当に名前で選ぼうよ、と言って、私はアップルマンゴーサワーを、ポールはカルピスサワーを頼んだ。あと、ポテトフライと唐揚げを。意気込んで店に入った割に、お互いに、だいぶひよった感じの選択で、私たちはやっぱりまだまだ子どもだな、と思った。

運ばれてきたお酒で、私たちは乾杯した。アップルマンゴーサワーは甘いのに苦かった。

ポールはひと口飲んで、なんか普通にカルピスの味がする、と言ってから、あのさ、と背負っていたリュックのチャックに手をかけた。

「てか、なんなのそれ、さっきもずっとリュックに触ってたよね」

「いや、実はね」

ジジジとファスナーを動かし、ポールがリュックの口を開けた。驚いたことに、リュックの中から、リュックが出てきた。

「何それ」

「これ、あの。誕生日プレゼント。ヒナちゃん、三月でしょ」

それはKELTYの黒のデイパックだった。私が以前、ZOZOで買おうかどうしようか迷っていて、結局買わなかったのだけれど、そのことを学校帰りにポールに話した記憶がある。

「ほら、前、ヒナちゃんこれ欲しいって言ってたじゃん。誕生日にあげたくて買ったんだけど、渡す前に俺ら、別れちゃったから」

「…。え、じゃあ付き合ってたときにもう買ってたの?」

「うん」

「二年の夏でしょ?」

「うん」

「いま三年終わってるよ?」

「うん」

「うっわ」

「変だよね。ごめん」

「いやべつに謝らなくていいし、もらっていいのかな、って感じだけど。…てか、ありがとう」

ポールはこういう人だった。そう、こういう人なのだ。こういう人の、こういうところを好きになって、そしてこういうところを嫌いになりそうだった。だから私はさよならした。ポールのこういうところを、もう嫌いになりたくなかったから。

「よかったら使って」

「うん。黒だから、カメラ、入れたら合うかも」

カルピスサワーひと口で酔ったのか、それともリュックを無事に渡して安心したのか、ポールの目が穏やかにとろんとしている。それを見て私は、ポールはまだ私のことが好きなんだ、ということがはっきりとわかった。だけど彼はそれを口にしない。やっぱりいつまでたっても物足りない男。でも、そんなポールを、二年生のときとは別の気持ちで見つめている自分がいる。悪い気はしなかった。わたしはそんなポールが、可愛くて仕方なく思えてきた。

「なんかさ、俺たち、思い出ないから」

「うん」

「作りたかった」

「うん」

「今日、思い出になるかな」

「うん。なる。する」

きっとなるような気がした。未成年のくせに大人ぶって一緒に居酒屋に入って、お酒を飲んで。しかもリュックの中からリュックが出てきて。そんなことが、幼い日の冒険のように懐かしく思い出される日が、いつかきっと来る。

「美容院、ごめんね」

「いいよ大丈夫。明日に変更してもらったし。ねえ、私、雰囲気変えたいんだけど、どんな髪型がいいかな」

「どんなっつわれても、俺どんなのがあるかわかんない」

「だよね」

「短い方がいいと思う? 長さあった方がいいと思う?」

「ほどよい長さがいいと思う」

「そういうのやめて。ボブのままでいいかな?」

「バブ?」

「だめだ、話にならない」

「ごめん、そういうのほんとわかんないんだ」

「バブ、入浴剤だから」

私も酔っ払ったのか、グラスを一杯空けたら身体がふわふわしてきて、冷房の効いた店内なのにだいぶ暑い。

 

未成年なのがバレないうちに、私たちは店を出た。そしてまた駅前で立ち止まった。

「ポールはあっちでもベース弾くの?」

「わかんない」

「やりなよ」

「うん、じゃあやる」

私は手を差し出した。照れくさそうに握り返したポールの手は、あたたかく湿っていた。ぬくもり、ってやつだった。

「私、バスだから」

「うん、俺は電車」

駅の入り口で手を離し、私たちはお互いにその手を振った。

おもては薄暗く、駅前はあかりがともっていたけれど、まだ夜というには明るかった。晴れていればそろそろ夕暮れの色に変わってきそうな時間。でもこの街の空らしく、灰色に曇っている。ただ薄暗くなっていくだけの夕方。私はこの何の変哲もない新潟の景色を、ポールの手のぬくもりを、たぶん一生、忘れないような気がする。

「じゃあ、もしかしたらまた東京で」ポールが言った。

「うん、東京で」

そう言いながら、お互いに、もう会うことはないと確信していた。最後の最後に、私たちはようやくわかり合えたような感じがした。そのことが無性にせつなかった。泣きたいような気分だった。

ポールの背中が遠ざかる。私は明日髪を切って、明後日東京に行く。どんな髪型にするかまだ決めてないし、東京でどんなことが私を待っているかもわからない。でも、わからない、というのが、きっと私たちの未来なのだろう。私はそんなことを思って、ポールがくれたリュックの持ち手の部分を力強く握った。

駅の改札に向かってポールが歩いて行く。私はふとカメラを取り出し、構え、その後ろ姿を撮った。思いっきりぼけていた。見るとダイヤルがMだったので、Pに動かして撮ってみた。少しはましになったけど、まだぶれていた。なんだよ、ポールのPなのに。そう思ってもう一度構えたら、ファインダーの中に、でも、もうポールはいない。

 

 

 

小説・藤田雅史 | 写真・TAKUMA | スタイリスト・太田佐和(fleur de lis)